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2026/07/29
退職・解雇

賃貸借の場合と異なり、従業員が死亡した場合に相続人に地位が引き継がれないのはどうしてなのでしょう。





 相続が発生すると、被相続人の権利や義務は相続人に引き継がれるというのが民法の基本原則です。そのため、従業員が亡くなった場合でも、その労働者としての地位も相続人に引き継がれるのではないかと思われる方も中にはいらっしゃるかもしれません。しかし、実際問題、従業員の相続人が相続を原因として引き続いて労務を提供しているなど聞いたことはありませんし、相続人にとっても、相続放棄しない限り、親等の仕事を引き継がなければいけないなど到底受け入れられるものではないでしょう。親の仕事を引き継ぐのは、代々承継されてきた由緒ある仕事を子供、孫世代が引き継いでいくことがあるくらいで、それも親の地位をそのまま相続している訳ではなく、あくまでも本人の意思で、たまたま同じ仕事をしているというだけに過ぎません。一方で、未払賃金や既に発生している退職金請求権などは相続の対象となりえます。同じ労働契約に関する権利義務ではありますが、権利の性質によって相続の対象になるか否か異なっていて、混乱する方もいらっしゃるかもしれません。




 

 相続の一般的効力を定めた民法896条は、「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。」と定めています。この条文から分かるように、相続されるのは、被相続人の財産に属した権利義務であり、被相続人本人にしか帰属し得ない権利や義務、すなわち一身専属のものは、相続の対象から除外されています。この点、労働契約法6条は、労働契約について、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する契約と規定していて、民法625条2項は、労働者は、使用者の承諾を得なければ、自己に代わって第三者を労働に従事させることができないとしています。






 通常、従業員を採用しようとす会社は、応募者の学歴、職歴、資格、経験、能力、健康状態、適性、さらには人物評価などを総合的に判断した上で、自社の採用基準を満たしていると評価した特定の個人との間で雇用契約を締結します。そこでは、労働者本人の能力や人格、使用者との信頼関係が契約の基礎となっていて、会社は、とりあえず所定労働時間に会社にいてくれる人なら誰でもよいと考えて雇用している訳ではなく、その人自身の能力、人柄等を評価して雇用している訳です(中には、誰でもいいから人数さえ埋まればよいと考えて雇用しているレアケースもあるかもしれませんが)。営業担当者であれば顧客との関係構築能力、システムエンジニアであれば技術力、看護師であれば国家資格や医療現場での経験など、それぞれの労働者が有する属性そのものが重視されます。ですので、仮にその労働者が死亡した場合に、配偶者や子どもが代わりに勤務すれば契約目的が達成されるというようなものではありません。





 労働契約は特定人による労務提供を内容とする契約であり、その性質上、本人以外が履行することは予定されていません。そのため、労働者としての地位はいわゆる一身専属の法律関係として理解され、民法896条ただし書により相続されないのです。ただし、労働契約に関する権利は一切相続されないというわけではなく、例えば、死亡時までに支払われていなかった賃金や時間外労働手当、あるいは退職金規程などに基づいて既に発生している退職金請求権は、いずれも金銭債権なので相続の対象となります。これらはもはや本人しか行使できない権利ではなく、被相続人の財産に属した権利として独立しているため、これらの権利は民法896条本文により相続人へ承継されます。あくまでも相続されないのは働く地位そのものであって、その地位に基づき既に発生している財産権は相続されます。





 ちなみに、賃貸借契約では異なる結論になります。例えば、借主が死亡した場合、その相続人は通常(例外もあります)、借主として地位を承継します。賃貸人は、借主が死亡したからといって当然に契約を終了させることはできません。これは、賃貸借契約が、建物や土地を使用・収益する権利と賃料を支払う義務を内容とする純粋な財産法上の契約だからです(一審専属の権利義務ではない)。もちろん、賃貸人にとって借主が誰であるかは全く重要ではないとはいえませんが、通常の居住用・事業用建物の賃貸借では、契約の本質は、賃料の支払いと適正な使用であって、その義務を相続人が引き継ぐことができるのであれば契約目的は失われず、民法896条本文により承継されることになります。これに対しては、いやいや、建物の賃借人を探す際はめっちゃ人柄を重視してる。部屋をきれいに使用してくれるような人物かどうか、煙草を吸わない人か、無断でペットを飼いそうにない人か等々、調べまくったうえで契約しとるでとおっしゃる家主さんも大勢いらっしゃるでしょう。その気持ちはよく分かりますが、被相続人と同居していた相続人の生活を保護するという面もあり、現行法では、賃借人の地位は相続されることになっています。個人的には、借家人死亡後の相続人探索の困難、契約が継続されることによる相続人の家賃負担の増加等の事情を考えると、借家人の地位も相続しないことにした方がよいのではないかとの見解も一考の価値があるとは考えますが。




 このように、労働契約と賃貸借契約は、いずれも継続的契約でありながら、相続の取扱いは大きく異なります。この違いは、契約の対象が財産なのか、人なのかという点に集約できます。賃貸借契約は財産利用を目的とする契約であり、契約主体が相続人に変わっても契約の本質は維持されるのに対し、労働契約は特定人の労務提供を目的とする人的契約であるため、その人が死亡すると契約目的そのものが失われるのです。仮に、従業員が死亡した場合、企業の労務担当者としては、退職に伴う社会保険や雇用保険の資格喪失手続、源泉徴収票の交付、退職所得に関する処理などが必要になる一方で、未払賃金や退職金など相続の対象となる権利については、相続人への支払手続を適切に進める必要があります。これまでと同一の口座に振り込んでよいのか、相続人の一人に渡してしまってよいのか等、いろいろと悩まれることもあるかもしれませんが、なかなか悩みが解消されない場合は、一度、弊所の法律相談をご利用いただければと思います。


令和8年7月29日

リバティ総合法律事務所 弁護士 石上秀樹

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