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2026/05/18
各種保険

現在、傷病手当金をもらっているのですが、途中で労災の休業補償給付に切り替えることはできるのでしょうか。




 病気やけがで働けなくなったとき、多くの会社員が利用するのが健康保険の「傷病手当金」です。一方で、仕事中や通勤中の事故・精神疾患などが原因で休業した場合には、労災保険の「休業補償給付」が問題になります。ご質問にあるように、当初は私傷病だと思って健康保険の傷病手当金を受給していたけれど、その後、実は業務災害だったのではないか、長時間労働による精神疾患として労災認定される可能性があることが判明するケースは実は少なくありません。その時になって、傷病手当金を受け取っているから労災の休業補償給付を受け取ることは無理なのではないかという疑問を持つ方は実際のところ非常に多いです。結論からいえば、途中で労災へ切り替えることは可能です。ただし、単純に制度変更をすれば済むわけではなく、「同じ休業期間について二重に給付を受けることはできない」という重要なルールがありますので、すでに受け取った傷病手当金を返還する場合もあり、手続の流れを把握することが重要です。




 傷病手当金は、健康保険法第99条に基づく制度で、業務外の病気やけがによって働けなくなった場合に支給されます。会社員が加入する健康保険から支給されるものであり、支給額は原則として標準報酬日額の3分の2相当額です。これに対して、労災保険の休業補償給付は、業務災害または通勤災害によって働けなくなった場合に支給される制度です(労働者災害補償保険法14条)。この場合、給付基礎日額の60%に加え、特別支給金として20%が上乗せされるため、実質的には80%相当になります。傷病手当金より給付水準が高く、自己負担の治療費も原則ありません。そのため、同じ休業中の所得補償であっても、労災保険の適用がある場合は、労災請求を優先すべきということになります。



 それであれば、はじめから傷病手当金ではなく労災を請求しておけばよいのではないかと思われかもしれません。労災の可能性があるのに傷病手当金の支給を受けるのは、最初の段階では業務起因性、つまり、仕事が原因かどうかが不明確なことが多いためです。特に精神疾患や腰痛などでは、当初は私傷病として扱われ、その後に労災認定請求を行うケースが珍しくありません。たとえば、長時間労働やパワーハラスメントによるうつ病の場合、最初は健康保険で治療と休業を開始し、後から労働基準監督署に労災申請をする流れがよくあります。労災認定には時間がかかります。数か月から、場合によっては1年以上かかることもあります。その間、生活保障がまったくないと困るため、先に傷病手当金を受給しておき、後に労災認定が出た段階で調整する運用が実務上行われています。



 ここで注意が必要なのは、同じ期間について両方を満額受け取ることはできないという点です。健康保険法55条には、同一の事由について労災保険から給付を受けられる場合には、傷病手当金は支給しないと定められています。つまり、本来労災で処理されるべき休業については、健康保険の傷病手当金は補充的な位置づけにすぎません。そのため、後から労災認定が下りた場合には、すでに受け取った傷病手当金について返還を求められることがあります。もっとも、実際には「全額をいったん自分で返して、その後に労災給付を受け直す」というより、健康保険側と労災側で調整されるケースもあります。ただし、保険者によって運用が異なり、一時的に返還手続が必要になる場合もあるため、事前に確認しておきましょう。





 このような切り替えが問題になることが多いのは、精神疾患のケースです。たとえば、月100時間を超える長時間労働や、上司による強い叱責が続いた結果、適応障害やうつ病を発症したような場合です。当初、会社側が「労災ではない」と扱い、本人も深く考えずに傷病手当金を申請することがあります。しかし、その後、弁護士や労働組合に相談したところ、労災の疑いが強いと判断され、労災の請求を行うケースがあります。精神障害の労災認定については、厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」が重要になりますが、長時間労働やハラスメントの内容が基準を満たせば、後からでも労災認定される可能性はあります。また、転倒事故や腰痛でも、会社が労災手続に消極的であるため、やむを得ず健康保険を利用している例があります。しかし、本来業務災害であれば、労災保険を優先すべきです。





 会社が労災申請に協力しないというケースも多いかもしれませんが、そもそも労災申請は会社の許可がなければできない制度ではありません。労働者本人から労働基準監督署へ直接請求できます。会社が証明欄への記載を拒否しても、申請自体は可能です。厚生労働省もその運用を認めています。ただし、注意が必要なのは、労災認定には時間がかかるという点です。そのため、生活費確保の観点からは、まず傷病手当金を受けながら労災申請を進めることが現実的な対応になることも多いでしょう。繰り返しになりますが、会社が労災扱いを拒否していても、労働者本人から請求することは可能です。会社が認めてくれないから無理だと諦める必要はありません。会社が労災申請に協力してくれないなどの事情がありましたら、一度、社会保険労務士や弁護士に相談してみてください。



リバティ総合法律事務所 弁護士 石上秀樹

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