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退職金は、それを支給するか否か、いかなる基準で支給するかが専ら使用者の裁量にゆだねられている限りは、任意的恩恵的給付であって、賃金ではないとされていますが、労働契約、就業規則、労働協約等でそれを支給すること及びその支給基準が定められていて、使用者に支払い義務がある場合は、労基法上の賃金性を有するものとして、労働者に権利として退職金請求権が認められるとされています。任意的恩恵的給付とされる限り、使用者が退職金を全額不支給としようが特に問題は発生しませんが、賃金制を有している場合は、不支給とすることが労基法上の規定等に違反しないか等、諸々検討する必要が出てきます。
退職金には、長年の勤務に対する功労報償という性格だけでなく、賃金の後払いという性格もあるので、仮に、退職金規程に一般的な不支給条項が設けられていたとしても、従業員が重大な非違行為を行ったというだけで、当然に退職金の全額不支給が認められる訳ではありません。この点、裁判所は、退職金を全額不支給とするためには、長年の勤続の功労を抹消するほどの重大な背信行為が必要であるという考え方を示していて、懲戒解雇が有効であっても、退職金の全額不支給までは余程の事情がない限り認めていません。そうなると、本件のように懲戒解雇することなく雇用を継続する従業員については、将来の退職金を全額不支給とすることはさらに認められない可能性が高いでしょう。
労働基準法91条は、減給の制裁について、1回の額を平均賃金の1日分の半額以下とし、その総額を一賃金支払期における賃金総額の10分の1以下とする制限を設けています。今回想定している制度は、毎月の給与を減額するものではなく、将来の退職時に支給される退職金を不支給とするものです。退職金は、通常、退職時に具体的な請求権が発生するため、退職金規程にあらかじめ支給制限事由を定めること自体は、直ちに同条の減給制裁に該当するとはいえませんが、退職金全額不支給を独立した懲戒処分として科すことは、実質的に賃金としての性格を持つ退職金を制裁によって剥奪することになるので、同条との関係でも問題となる余地があります。
また、労働契約法15条は、懲戒処分について、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない場合には無効と定めています。勤続20年の従業員が重大な服務規律違反を行ったものの、会社は懲戒解雇までは必要ないと判断し、退職金について、将来支給されるはずの2000万円を全額不支給とする懲戒処分を科した場合、退職金2000万円を失うという経済的不利益は極めて大きく、出勤停止などの処分よりもはるかに重い制裁になりかねません。会社が雇用の継続を認めているにもかかわらず、退職金についてだけ、長年の勤続の功労をすべて否定することが相当なのかという疑問も当然生じます。
処分後の勤務をどのように評価するかという点も悩ましいところです。懲戒解雇の場合にはその時点で雇用関係が終了するので、それまでの勤続の功労をどの程度否定できるかを問題としやすいのに対して、在職中に将来の退職金全額不支給を決定する場合、仮に、その後も従業員が勤務を続け会社に大いに貢献したとしても、退職金が一切支払われないことは変わりません。たとえ、処分後さらに15年間勤務し、その間は問題なく業務を遂行したとしても、過去の一度の非違行為によって、その15年間の功労まで否定されることになってしまいます。これは、退職金の功労報償的性格からも、賃金後払い的性格からも、合理性を説明することが難しいでしょう。
従業員が重大な服務規律違反を行った場合、会社としては、懲戒処分を検討することになりますが、どれだけ非違行為が重大であったとしても、長年勤務してきた従業員を直ちに懲戒解雇することにためらいを感じることもあるのかもしれません。そんな時に備え、雇用関係は継続しながら、懲戒処分の一つとして、将来の退職金を全額不支給とするという制度を設けることはできないかと言われると、退職金の性質や懲戒処分の相当性との関係で問題が多く、企業側の制度設計としてはお勧めしませんという回答になります。一般的な退職金規程のように、重大な背信行為があった場合には、非違行為の内容、会社に与えた損害、勤続年数、勤務成績などを考慮して、退職金の全部又は一部を支給しないことがあると定める方がはるかに合理的です。この方法であれば、退職時に、それまでの勤務状況を含めて支給の可否や減額の程度を判断できますし、法的安定性を重視するのであれば、懲戒処分の種類や非違行為の重大性に応じて、退職金算定上の評価を一定範囲で引き下げたり、功労加算部分を減額したりする仕組みも考えられます。
令和8年11月8日
弁護士 石上秀樹