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2025/10/24
賃金・労働時間

労働時間規制の導入の経緯について



日本では、長時間労働・過労死・メンタル不調といった深刻な労務リスクを背景に、「時間外労働の上限なし」という状況が問題視されてきたことから、2018年の労働基準法の改正によって、法定外時間外に関し、原則「月45時間・年360時間」という上限が法律上明記されました。


ところが、近年、「人手不足」「働き方の多様化」「成長戦略との兼ね合い」といった文脈で、当該上限規制を含む労働時間規制の「緩和」を検討すべきという声が出てきています。直近では、高市総理が、厚生労働相に対し、現行の労働時間規制の緩和を検討するように指示したという報道もあります。この労働時間規制緩和の問題についての理解を深めるため、今回は、現状の「月45時間・年360時間」という上限規制がどのような経緯で導入されたのか、簡単におさらいしてみましょう。





1 上限規制導入前の状況(〜2018年)



かつての労働基準法(改正前)には、「時間外労働の上限時間」を明確に定めた条文がありませんでした。労基法第36条(いわゆる「36協定」)により、労使協定を結べば法定労働時間を超えて労働させてもよいとされていましたが、その時間数には法定の上限が存在しなかったのです。したがって、企業が「特別条項付き36協定」を締結すれば、実質的に無制限に残業させることが可能な状態で、この結果、過重労働・過労死事案が後を絶たず、社会問題化しました。


1990年代後半から2000年代にかけては、「過労死」や「過労自殺」に関する訴訟・報道が相次ぎ、中でも有名なのは、入社2年目の電通の社員が1991年に自宅で自殺した電通事件(平成12年3月24日最高裁判決)で、長時間労働と精神的負荷の因果関係が初めて最高裁で認定されたことが、社会に大きな衝撃を与えました。
以降、「過労死ライン」(月80時間超の残業)という言葉が厚生労働省でも用いられるようになりました。





2 行政指針での「限度基準告示」(1998年〜)



こうした事態を受け、厚生労働省(当時は労働省)は、1998年(平成10年)、「時間外労働の限度に関する基準(厚生労働省告示第154号)」を制定しました。この告示が、現在の「月45時間・年360時間」の原型です。

告示では、「原則として1か月45時間、1年360時間を超えないようにすること」が定められましたが、これは法律上の義務ではなく“行政指導”レベルにとどまり、違反しても罰則はありませんでした。そのため、実際には「特別条項」を設けてこの限度を大幅に超える協定が横行します。




3 過労死防止法と社会的転換(2010年代)



2010年代に入り、過労死・過労自殺の問題はますます深刻化しました。
2014年には「過労死等防止対策推進法」が制定され、国としても初めて過労死防止を明確な政策目標に位置づけました。

この頃から、政府の「働き方改革実現会議」などで、長時間労働是正が最重要課題として取り上げられるようになります。経団連など経済界も参加した議論を経て、「法的拘束力のある上限規制」を導入する方向で一致しました。





4 働き方改革関連法による法定化(2018年改正)




そして、2018年(平成30年)の「働き方改革関連法」により、労働基準法第36条が改正され、ついに「時間外労働の上限規制」が法律に明文化されました(2019年4月施行、2020年から中小企業にも適用)。


改正後の主な内容は次のとおりです。


区分原則(特別条項なし)特別条項付き協定(臨時的な場合)
月の上限45時間100時間未満(休日労働含む)
年の上限360時間720時間以内
複数月平均2〜6か月平均で月80時間以内
罰則労基法第119条(6か月以下の懲役または30万円以下の罰金)同左



これにより、かつての「無制限残業時代」は終わり、法的拘束力をもつ上限規制が確立されたのです。





5 現行の運用と今後の展望



この上限規制は、「過労死ライン」とされる月80時間超を絶対に許さないという社会的メッセージを含みます。さらに、2024年度からは建設業・自動車運転業務・医師など、これまで猶予されてきた業種にも上限規制が順次適用されています(労基法附則第139条等)。労働基準監督署による是正勧告や企業名公表も相次いでおり、企業にとってはコンプライアンス上の最重要ポイントとなっています。

月45時間・年360時間という上限は、単なる数字ではなく、

  • 過労死などの社会問題
  • 行政指導から法的拘束への転換
  • 働き方改革という政策目標


    の三つを背景に、20年以上をかけて形成された制度です。



このルールの本質は、「残業を一定時間までなら認める」ことではなく、長時間労働の抑止と健康確保を最優先する考え方への転換にあります。したがって、企業としては、「形式的に36協定を届け出ているから大丈夫」ではなく、実際の労働時間管理と健康管理の実効性を重視する運用が求められます。




今後、労働時間規制緩和の議論が始まることが予想されますが、個人的には、長時間労働の抑止と健康確保を最優先するという考え方自体が後退することはおそらくないだろうと思います。かかる観点からの労働時間抑制への志向と、人手不足・働き方の多様化(長時間働いて給料を増やしたい人のニーズ)・成長戦略との兼ね合いという観点からの労働時間緩和への志向とのバランスをいかにとるか、高市内閣のバランス感覚が試される重要課題の一つになると思うので、我々国民としては、今後の議論の動向を注意深く追っていく必要があります。


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