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2026/06/26
賃金・労働時間

会社から従業員に貸し付けがあり、その毎月の返済額を給与から相殺したいと考えていますが、法的に問題はあるのでしょうか。





 会社が従業員に対して生活資金や住宅資金を貸し付けることは、実務上それほど珍しいことではありません。福利厚生の一環として貸付制度を設けている企業もありますし、個別事情に応じて一時的な貸付けを行うこともあるでしょう。もっとも、その返済を毎月の給与から差し引いて回収したいと考えたとき、会社側が、借用書もあるし、本人も返済するつもりなのだから、給与天引きで問題ないだろうと早計してしまうのは危険です。



 この問題を考えるうえで重要なのが、労働基準法17条と24条1項です。両条文はいずれも、会社が賃金から一定額を差し引く場面に関係しますが、規制している対象と趣旨が異なります。結論から言うと、会社から従業員への貸付金について、会社が一方的に毎月の給与から返済額を差し引くことは、原則として認められません その理由を整理するには、まず17条で「そもそもその貸付けが前借金に当たるのか」を確認し、そのうえで24条1項により「前借金に当たらなくても、給与からの一方的控除は原則できない」と考える必要があります。






 労働基準法17条は、「使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない」と定めています。ここでいう「前借金」とは、将来の労働を前提に、賃金の前払いのような形で金銭を交付するものを典型としています。この条文の趣旨は、前借金を理由に労働者が会社を辞めにくくなり、事実上働き続けることを強いられるような状態、すなわち身分的拘束を防ぐ点にあります。ですので、「この金を貸す代わりに一定期間働くこと」、「退職時には残額を一括返済しない限り退職を認めないこと」といったような合意であれば17条との関係で問題となりますし、住宅建設資金の融資や、災害・傷病時の生活支援としての貸付けなど、真に労働者の便宜のために行われ、返済前であっても退職の自由を制約しないものであれば、17条との関係では問題とならないと考えられます。




 ここまで読んで、余裕のない労働者のために善意で(労働することを条件にしたりしないで)生活資金を貸し付けた会社であれば、毎月の返済額を給与から相殺しても法的には問題はないのかと考えてしまう方もおられるかもしれません。しかし、そう考えてしまう方は、相殺するにあたりまだ考慮すべき条項が存在することを忘れています。いわゆる「全額払いの原則」を定めた労働基準法24条1項です。この条項は、賃金について、「通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」と定めています。この条項が存在するため、仮に会社からの貸付けが17条の「前借金」に当たらない福利厚生的なものであったとしても、会社が貸付金債権を理由に、給与から当然に相殺・控除できることにはなりません。


 
 会社による従業員貸付金の給与回収を考えるときは、17条の前借金に当たるか」→「17条に当たらないとしても24条1項に反しないか」という二段階で検討する必要がありますが、24条1項にはただし書があり、法令に別段の定めがある場合のほか、過半数労働組合または過半数代表者との書面による協定がある場合の賃金の一部控除を認めています。行政解釈上、控除の対象となるのは「購買代金、社宅・寮費、社内預金、組合費等の事理明白なもの」に限られるとされているので、仮に、会社貸付金の返済を給与控除で回収するのであれば、少なくとも、貸付けの根拠、対象者、上限額、返済方法、返済期間、退職時の扱いなどを貸付規程や福利厚生規程等に明記した上で、賃金控除協定にも控除項目として位置づけられていることが必要となるでしょう。



 この点、「労働基準法24条1項本文の定めるいわゆる賃金全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である」と判示した裁判例もあり、面倒な労使協定を取り交わしていなくても給与からの天引きが許される場合もあるとはされています。ただし、労働者の同意が自由意思に基づくかどうかは厳格かつ慎重に判断すべきであるとされていて、単に「同意書にサインをもらったから大丈夫」などと考えることは許されません。上記判例も、労働者の自由な意思に戻づいてされたものであるかという点について、以下のように判示しており、それほど簡単に認められるものではないことはお分かりいただけるかと思います。





 「被上告人Aは、被上告会社の担当者に対し右各借入金の残債務を退職金等で返済する手続を執ってくれるように自発的に依頼しており、本件委任状の作成、提出の過程においても強要にわたるような事情は全くうかがえず、右各清算処理手続が終了した後においても被上告会社の担当者の求めに異議なく応じ、退職金計算書、給与等の領収書に署名押印をしているのであり、また、本件各借入金は、いずれも、借入れの際には抵当権の設定はされず、低利かつ相当長期の分割弁済の約定のもとに被上告人Aが住宅資金として借り入れたものであり、特に、被上告会社借入金及び三和借入金については、従業員の福利厚生の観点から利子の一部を被上告会社が負担する等の措置が執られるなど、被上告人Aの利益になっており、同人においても、右各借入金の性質及び退職するときには退職金等によりその残債務を一括返済する旨の前記各約定を十分認識していたことがうかがえるのであって、右の諸点に照らすと、本件相殺における被上告人Aの同意は、同人の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたものというべきである。」


令和8年6月26日

リバティ総合法律事務所 弁護士 石上秀樹


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