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賃金は労働契約の最も重要な内容の一つであるので、会社が経営上必要だと判断しただけで自由に減額できるものではありません。もちろん、会社と社員が合意するのであれば、労働契約法8条により労働条件を変更することは可能で、例えば、月給40万円を35万円にすることについて本人が真に同意すれば、その合意に基づいて賃金を減額することは可能ではあります。ただ、会社から賃金減額の同意書等にサインするよう求められた社員の立場からすると、断ったら会社に居づらくなるのではないか、評価を下げられるのではないか、解雇されるのではないか等と心配し、本当は納得していなくてもサインしてしまうことはあると思います。そのような場合であっても、減額合意を有効と解いてよいのかと言われると、悩まれるのではないでしょうか。
この点について参考となるのが、最高裁平成28年2月19日判決(山梨県民信用組合事件)で、この事件では、退職金の支給基準を不利益に変更することについて、労働者が同意書に署名押印していました。最高裁は、賃金や退職金のような重要な労働条件については、署名したという事実だけで直ちに同意があったと考えるべきではないとし、不利益の内容や程度、同意に至った経緯、会社からどのような情報提供や説明がされたかなどを踏まえ、労働者の自由な意思に基づく同意と認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するかという観点からも判断すべきだとしています。
つまり、会社としては、社員を呼び出して、会社が苦しく来月から給料を下げるのでこの書類にサインしてください等と告げるだけでは不十分で、なぜ減額が必要なのかを具体的に説明することが大事になります。ここ数年間の売上げの推移、人件費の状況、今後の収支見込みなど、会社の経営状況を可能な範囲で示し、なぜ賃金を下げる必要があるのか、なぜその社員が対象になるのか、なぜその減額幅なのかを具体的に説明すべきです。一部の社員だけを対象にするのであれば、対象者をどのような基準で選んだのかも重要で、例えば、管理職だけを対象とする、一定額以上の賃金を受けている社員を対象とするなど、客観的に説明できる基準があれば理解しやすいかもしれません。減額になる期間も明確にしておくべきで、業績悪化への一時的対応なのであれば、令和○年○月から令和○年○月まで35万円とし、その後40万円に復するなど、期間を限定したり、一定期間後に経営状況を踏まえて改めて協議する旨を定めたりすることも考えられます。
賃金減額を検討する際に注意が必要なのが、就業規則との関係です。個別合意があれば何円まででも減額できるわけではありません。労働契約法12条は、就業規則で定める基準に達しない労働条件を定めた労働契約について、その部分を無効としているので、例えば、賃金規程上、ある等級の基本給が30万円以上と定められている社員について、本人との合意によって基本給を25万円にすることはできません。就業規則に、基本給は職務内容、能力、経験等を考慮して決定するとしか書かれていなくて、具体的な30万円という金額が個別労働契約によってのみ定められている場合は、30万円それ自体が就業規則上の最低基準というわけではないので、本人との有効な合意によって25万円に変更しても、直ちに労働契約法12条に抵触するわけではありません。
実際に減額を検討する際には、雇用契約書、労働条件通知書、就業規則、賃金規程を突き合わせ、現在の賃金額が何を根拠として決まっているのかを確認する必要があります。就業規則や賃金規定を基に決められているのであれば、その基準を下回るような減額はできませんが、賃金の具体的な支給基準・金額が就業規則上の最低基準として定められておらず、それらが専ら個別労働契約によって定められている場合には、個別契約上の賃金を労使の合意によって減額しても問題はありません。業績が悪化している以上、賃金減額を検討すること自体は不自然なことではありません。ただし、後になって、賃金減額の同意の有効性を争われることは稀ではなく、その際に問われるのは、同意書の署名の有無だけではなく、社員が減額の意味と影響を理解したうえで、自らの意思で受け入れたと評価できるかどうかです。
令和8年9月23日
リバティ総合法律事務所 弁護士 石上秀樹