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従業員が長期間就労できない状態となった場合、多くの企業では就業規則に基づき私傷病休職を命じる制度を設けています。しかし、その疾病が私傷病ではなく、業務に起因する疾病(いわゆる業務上疾病)である可能性がある場合には、安易に私傷病休職を命じることは大きな法的リスクを伴います。特に近年は、精神障害や脳・心臓疾患を中心に、労働災害(労災)認定をめぐる紛争が増加しています。企業としては、従業員の欠勤が続くからといって直ちに私傷病休職へ移行させるのではなく、まず傷病の原因について慎重に検討することが求められます。
そもそも、業務上疾病の疑いがある場合でも私傷病休職を命じることは可能なのでしょうか。業務上の疾病については、労働基準法が独自の制度を設けていて、例えば、労働基準法75条は療養補償を、76条は休業補償を定めています。また、療養のために休業している期間及びその後30日間については、19条第1項により解雇が原則として禁止されています。このように、業務上疾病については法律が特別の保護を与えているため、本来は私傷病休職制度とは異なる枠組みで処理されることになります。一方で、私傷病休職制度は法律上設けられた制度ではなく、多くの企業が就業規則によって定めている任意の制度で、一般的には、業務外の傷病により労務提供ができない場合に適用される制度であると理解されています。そのため、多くの就業規則でも、業務外の傷病を休職事由として規定し、業務上災害による療養は対象外としている例が少なくありません。
もっとも、傷病が業務上か私傷病かが直ちには判明しないケースも多くあります。例えば、長時間労働の後にうつ病を発症した場合や、過重労働後に脳梗塞を発症した場合には、会社としては私傷病ではないかと考えていても、後日、労働基準監督署が業務上疾病と認定することがあります。ですので、まだ労災認定を受けていないから私傷病であると考えることは誤りです。従業員の疾病の業務起因性については、業務上の災害について使用者に一定の責任が認められる以上、労基署だけに任せるのではなく、会社自身も独自に調査・検討する必要があります。労災保険の適用については、行政による認定が出るまでには数か月から一年以上要することも珍しくありません。その間に私傷病休職として処理し、休職期間満了を理由として退職扱いとした場合には、その後に業務上疾病と認定されることで処分全体が争われるリスクがあります。
実際の裁判例においても、会社が私傷病であることを前提として休職期間満了による自然退職を行った事案で、その疾病が業務に起因する可能性があるとして争われた例は数多くあります。病気休職制度は本来、従業員の雇用を維持するための制度ですが、休職期間満了後には自然退職や解雇につながる不利益を伴う制度でもあります。そのため、裁判所は休職命令や復職判断について、企業に慎重かつ合理的な判断を求める傾向があります。業務上疾病の疑いがあるにもかかわらず、十分な調査をすることなく早期に私傷病休職へ移行することは避けた方がよいでしょう。私傷病休職を命じる前に、まずは本人から事情を聴取し、主治医の診断書だけでなく、可能であれば産業医等の意見も取得した上で、時間外労働時間、業務内容、ハラスメントの有無、職場環境などについても併行して調査し、業務起因性の有無について一定の検討を行うことが重要です。実際のところ、労働者が労災請求を予定している場合には、その結果を待ちながら対応を検討することも少なくありません。
仮に、業務上疾病の可能性を十分認識しながら私傷病として会社が一方的に処理した場合、その後の紛争で会社側に不利な事情として評価されるおそれはあります。就業規則に私傷病休職を定めていても、その前提となる業務外の疾病であることについて合理的な判断ができない段階では、休職命令の適法性自体が問題となる可能性もあります。業務上疾病に罹患している疑いのある従業員に対して、私傷病休職を命じることが絶対に許されないわけではありませんが、その疾病が業務外であることを十分に確認しないまま、形式的に私傷病として扱うことには大きな法的リスクがあることを忘れてはいけません。
私傷病休職制度は、本来、業務外の疾病を対象とする雇用維持制度です。他方、業務上疾病については、労働基準法による療養補償、休業補償及び解雇制限という特別な保護制度が用意されています。この制度趣旨を踏まえれば、業務起因性について合理的な疑いが存在する段階では、企業は、労災認定がまだ出ていないから私傷病と短絡的に考えるのではなく、業務上疾病である可能性をどこまで検討したかというプロセスが重要になります。一方で、休職制度を設けている以上は、この制度を使うことなく、疾病による業務遂行不可を理由とした解雇を行った場合、解雇権の濫用による無効と判断されるリスクが高いことも事実としてあり、疾病の影響で業務遂行がなかなか叶わない従業員を解雇したいと考える会社としては、一定のリスクを踏まえた上で、休業を命じることも場合によっては必要だと考えます。
令和8年6月30日
リバティ総合法律事務所 弁護士 石上秀樹