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近年、職場におけるパワーハラスメント(以下「パワハラ」)は社会問題として広く認識され、企業の人事・労務管理においても重要なテーマとなっています。特に、上司の言動が原因で労働者が精神障害を発症した場合、それが労働災害として認定されるか否かは重大な関心事です。しかしながら、「労災認定におけるパワハラ」と「労働施策総合推進法(いわゆるパワハラ防止法制)におけるパワハラ」は、同じ言葉でありながら必ずしも同一の概念ではありません。
2020年の法改正により、「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(以下「労働施策総合推進法」)において、企業に対するパワハラ防止措置義務が明文化されました(同法第30条の2)。一方、労災認定は「労働者災害補償保険法」に基づき、厚生労働省が定める精神障害の労災認定基準に従って判断されます。両者はいずれも労働者保護を目的とする制度ですが、その機能や評価方法には明確な違いがあります。
まず、労働施策総合推進法第30条の2第1項は、職場におけるパワハラを三つの要素から定義しています。すなわち、①優越的な関係を背景とした言動であること、②その言動が業務上必要かつ相当な範囲を超えていること、③当該言動により労働者の就業環境が害されることの三点です。この定義は、企業に対して予防措置や相談体制の整備を求めるためのものであり、厚生労働省の指針においては、身体的・精神的攻撃や人間関係からの切り離しなど、典型的な類型も示されています。ここで重要なのは、この定義が比較的広く設計されている点です。つまり、違法性が明確な行為に限らず、「業務上不適切である可能性がある言動」も含めて、企業に対応を促す趣旨があるといえます。言い換えれば、予防的・網羅的な概念としてのパワハラです。
これに対して、労災認定におけるパワハラは、同じく上司の不適切な言動を対象としつつも、その評価はより厳格です。精神障害の労災認定基準では、「業務による強い心理的負荷」があったかどうかが中心的な判断要素となります。ここでいう心理的負荷とは、単に不快であった、あるいは不適切であったという程度では足りず、精神障害を発症させるに足りる強度を有するものであることが必要です。実務上は、「出来事の心理的負荷評価表」に基づき、当該言動の内容、頻度、継続性、公開性などが総合的に評価されます。例えば、人格を否定するような暴言が継続的に行われた場合や、他の労働者の前で執拗な叱責が繰り返された場合には、心理的負荷が「強」と評価され、労災認定につながる可能性が高まります。他方で、単発の厳しい指導や叱責については、それが直ちに労災に結びつくとは限りません。
このように、両者の違いは単なる定義の差にとどまらず、制度の目的の違いに根ざしています。労働施策総合推進法は、職場環境の改善と紛争の未然防止を目的とするのに対し、労災認定は、発生した損害に対する補償の可否を判断する制度です。そのため、後者では因果関係や損害の重大性が厳格に問われることになります。
この違いは、企業実務において重要な意味を持ちます。まず留意すべきは、「労災とならないから問題ない」という理解が誤りである点です。労働施策総合推進法上の義務は、労災認定とは無関係に課されるものであり、たとえ心理的負荷が労災認定基準に達しない場合であっても、企業には適切な対応が求められます。また、企業は労働契約法第5条に基づき安全配慮義務を負っており、かかる義務に基づき、ハラスメントによる精神的損害について企業の責任が認められます。労災認定の有無とは別に、民事上の損害賠償責任が問題となる点に注意が必要です。
実務上は「業務上の適正な指導」と「パワハラ」の境界が曖昧であることから、企業としてはリスクを広めに捉える姿勢が求められます。問題のある言動が疑われる場合には、早期に事実関係を調査し、必要に応じて是正措置や再発防止策を講じることが不可欠です。被害者の健康状態への配慮や配置転換の検討、管理職への教育といった対応も、重要な実務対応といえるでしょう。
以上のとおり、労災認定におけるパワハラと、労働施策総合推進法上のパワハラは、同じ概念を共有しつつも、その射程と判断基準において明確な違いがあります。前者は補償制度として厳格な要件を課す一方、後者は予防的観点から広く定義されているからです。したがって、企業としては「労災に該当するか否か」という観点にとどまらず、より広い意味でのパワハラ防止義務を意識した対応が求められます。制度の違いを正確に理解し、実効的な職場環境の整備を進めることが、結果として法的リスクの低減につながります。
リバティ総合法律事務所 弁護士 石上秀樹