新しく自民党の総裁となった高市早苗氏の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」という発言を受け、国民からは様々な意見が表明されています。その中には、自分も高市氏を見習って、ワーク・ライフバランスなど考えず、長時間働きまくる宣言をしている方もおられます。これまでワーク・ライフバランスなど人生で一度も考えたこともなかったと表明される著名な経営者の方もおられます。ワーク・ライフバランスについてはまた別のコラムでもお話ししたいと思いますが、個人的には、今日は睡眠時間3時間にしておこうとか、一応お風呂入っておこうとか、夕食はこれを食べようとか、そんな細かな選択の一つ一つもワーク・ライフバランスを考えた結果と言えなくもないと思うので、人生で一度もワーク・ライフバランスを考えたことがないというのは、本人が気づいてないだけじゃないかという気もします。極端な話、1年24時間、寝ることもなくワークしかしていないという人くらいじゃないでしょうか、ワーク・ライフバランスを全く考えたことがないというのは。
今の時代、「長時間労働」と聞くと、過労死や健康被害といったマイナスのイメージの方が強いかもしれません。実際、日本では過労死等防止対策推進法(2014年施行)に基づき、国を挙げて長時間労働の是正に取り組んでいます。
一方で、「もっと働いて経験を積みたい」、「残業をいっぱいして収入を増やしたい」と考える人も少なくありません。では、自ら望んで長く働くことは、法律上どこまで認められているのでしょうか。
🔹法の原則:長時間労働は例外として認められる
労働基準法第32条は、労働時間の原則を「1日8時間、1週40時間」と定めています。この上限を超えて働くには、「36(サブロク)協定」と呼ばれる労使協定を締結し、労働基準監督署に届け出る必要があります。
つまり、長時間労働は「本人が希望しても勝手にできるもの」ではなく、会社と労働者代表との合意に基づく“例外措置”としてのみ許されているのです。
2019年の法改正(働き方改革関連法)では、この36協定に上限規制が導入されました。原則は、「月45時間・年360時間」、特別な事情がある場合でも「年720時間」「複数月平均80時間」「単月100時間未満」が限界です。
したがって、「好きだから月120時間残業したい」というような働き方は、法律上は認められません。
🔹「裁量労働制」や「高度プロフェッショナル制度」という選択肢
ただし、長時間働きたい人にとって、労働時間ではなく成果で評価される働き方を選ぶ道はあります。
たとえば「裁量労働制」(労働基準法第38条の3・第38条の4)は、実際の労働時間に関係なく「みなし時間」で勤務したとみなす制度です。
研究開発職や企画職など、自分で仕事の進め方を決められる職種が対象で、時間よりもアウトプットの質が重視されます。ただし、この制度の効果は、労働時間の算定において労使協定で定めた労働時間数を働いたものとみなす効果にとどまることから、休憩、休日、時間外・休日・深夜労働の法規制の適用を除外するものではないことに注意が必要です。かかる効果からすると、厳密には、長時間働きたいという人に適した制度という訳ではないかもしれません。
一方、2019年に導入された「高度プロフェッショナル制度」(同法第41条の2)は、専門性の高い職種(金融アナリスト、コンサルタント、研究者など)を対象に、労働時間規制の適用を除外する制度です。この制度では、対象となる労働者について、労働時間規制が適用除外となる結果、長時間労働を抑制する歯止めがなくなるため、厳格な手続・要件が定められています。具体的には、①労使委員会の決議が必要であること、②厚生労働省令で定められる高度の専門的知識を必要とする業務であること、③年収1,075万円以上であること、④健康管理時間の把握や年間104日以上の休日確保措置がされていることなどの厳しい条件があり、本人の同意も必須です。導入する会社の負担が非常に重いため、実際にこの制度を導入している企業の数はまだまだ少ないのが実情です。
🔹企業の裁量と本人の意思のすり合わせが鍵
現実的には、制度があっても「会社が長時間労働を容認していない」「同僚とのバランスがとりづらい」という課題もあります。
そのため、企業としては「自主的に働きたい人をどう評価し、どう守るか」という方針を明確にすることが大切です。
本人の意思を尊重しながらも、健康管理と成果管理の両立を図ることが、これからのマネジメントの課題といえるでしょう。
🔹「働きすぎない自由」と「働く自由」の両立へ
働き方改革は、単に「働く時間を減らす」ための制度ではありません。
むしろ、一人ひとりが望む働き方を選べる社会を実現することがその目的です。
「長く働きたい人」も「短く働きたい人」も、同じように尊重される――それこそが真の働き方改革ではないでしょうか。
長時間働くこと自体が問題なのではなく、本人の意思と健康を守る制度的な裏付けがあるかどうかが重要です。
自由に働ける社会とは、「働かされない自由」と「働く自由」の両方を支えるバランスの上に成り立っているのではないでしょうか。